言葉を記憶する

脳が受け付けないもの

前に数字を記憶することについてお話しました。

言葉も同じやり方で記憶することができます。

脳が受け付けないのは、複雑さでも大量さでも混沌でもありません。
曖昧さ(抽象)です。

問題は、抽象的な言葉です。

ですから、認識する「すべての言葉」を具体の映像に置き換える必要があります。

あるとき、あなたの取引先の福祉施設の玄関に社訓の額がありました。

「明朗 気概 思いやり」と三つ書いてあります。

帰り道あなたは、さっきの額にはなんて書いてあったろうかと考えます。

明るく優しく…、あれもうひとつはなんだっけ…?

映像の伴わない言葉は脆くあいまいで、すぐ消えてしまいます。

わたしならこうイメージします。

「いつも明るい受付の清水さん」が「飢餓」で倒れて空腹のあまり横にあった「重い槍」をかじった。

動きも色も音も匂いも想像して下さい。

清水さんは別人のようにやせこけて骨と皮ばかり…いまにも息絶えそうです…

「明朗、飢餓い、重い槍」。もう忘れません。絶対に。

ばかげてありえないイメージが大事です。

光景を思い起こせば、3つの順番もハッキリしています。

触媒

イメージは邪魔にはなりません。

それは触媒のように一時的に作用しますが、徐々に薄れて、最後には消えます。

最後には澱のように、覚えるべき記憶だけが残っています。

ですから、同じイメージ同士で干渉が起こることもないのです。

社会のバイアス

書きながら、こういう方法がどうして公教育に受け入れられないのかわかってきました。

たぶん品格を失うからです。

誰かに失礼だったり、ばかげていたり、恥ずかしくて口に出せなかったりするからです。

だから品格を重視する学校の授業で使われることも、広まることもないのでしょう。

それに、中身の良さより外形の良さを重視するのは、この社会ではふつうにあることです。

でなければ、鳩〇さんが総理になることはありえません。

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