記憶の沼
わたしは毎朝会社に着くと金庫を開ける役目です。
金庫はよくあるダイヤル式で、右に4回〇〇、左に3回〇〇、右に2回〇〇、左に1回〇、のように2ケタまたは1ケタの数字を合わせ、レバーを回すと開きます。
つまり2、2、2、1、合計7ケタの数字を覚えています。
前任者は毎朝紙を見ていたそうです。
わたしはよくある記憶術で覚えています。
1234567890をあかさたなはまやらわんに変換し、2桁の連鎖としてストーリー化しイメージする方法です。
0は「わ・ん」 しかないと語呂合わせしにくいので、「ぱ・ぴ・ぷ・ぺ・ぽ」も含めています。たとえば、00は椀とかパン、01はパイです。
例えばダイヤルが12→87→09→8だったら、金庫から出てきた赤ちゃんが山を踏みつぶしたら藁が吹き出してきて矢となって飛んでいった。
と1回イメージして終わりです。
イメージ記憶は単純記憶の30倍強力と言われていますから、忘れることはありません。
よく覚えているなと言われますが、覚えているというより、毎朝ダイヤルに手をかけてからリアルタイムで「思い出して」います。
覚えた当初はイメージが浮かぶので数字に翻訳しています。
何回か繰り返すうちにイメージは消え去って数字だけが浮かぶようになります。
ですから、記憶にとってイメージは過渡的な触媒です。
だから同じイメージがお互い邪魔にもならないし繰り返しいろんな記憶に使えます。
わたしは前の事務所の金庫も前の前の事務所の金庫も意味もなく覚えています。
公教育の不思議
わたしは、学校で教師が、繰り返し復習して覚えなさいとひとつ覚えで言うのが不思議でしょうがありません。
単に復習するというのは、かなり不器用で非効率な方法だからです。
勉強法を教えることなく、勉強内容をひたすら繰り返して覚えろというのは、テニスラケットの持ち方振り方を教えずにとにかく試合に出ろと言うようなものです。
上手くなるわけはありません。
だれがどういうたくらみでこんなまずい方法を布衍しているのでしょう?
20回繰り返せばすべてのことは完璧に記憶されるといわれます。
坊さんでも職人さんでも記憶力に関係なく仕事ができるのは限られたお経や技能を繰り返し覚えるからです。
勉強の最初の状態は海馬に入る短期記憶です。
短期記憶は7チャンク(7ケタ、あるいは7つのまとまり)しか容量がありません。
しかも数秒から数十秒しか保持されません。
学校ではこの状態でただ復習を繰り返す復習学習法を教えます。
でも、ほとんどの子にとって勉強ははかどりません。
なぜなら短期記憶では覚えても覚えても8割方忘れるからです。
次々覚えなければならない高校生にとって、短期記憶を必要なだけ繰り返すことなど非現実的です。
非効率すぎて、とても3年間では結果が出ないからです。
学校で教える復習学習法は、不合理で遅れているのです。
手法として普遍性があることと体裁が整っていることだけが取り柄です。
沼の底へ
最初から長期記憶である大脳新皮質に落とす技術が必要です。
木の葉を底なし沼の水面に並べても風が吹けばみんな飛ばされてしまいます。時間の無駄です。
最初から底なし沼の底に沈めてしまうのです。
(つづく)