7回読み勉強法

7回読み勉強法

セブンイレブンで立ち読みしているとき「東大首席弁護士の書いた7回読み勉強法」という本を発見して、珍しく共感して買ってしまいました。

勉強法としては、いい本ですね。

オーソドックスで。

普遍的で。

エビングハウスの忘却曲線を知ったとして、じゃあどうするのかと言ったら、基本的にはこういう繰り返しの勉強法をしなくてはいけません。

学校教師もただ「ちゃんと勉強しろ」ではなく、体験に照らして自分の思う最善の手法が言えなくてはうそです。

限られた時間の受験勉強です。

何回を目処に復習するのか受験勉強として最善か。

復習は読むのか、書くのか、まとめるのかしゃべるのか。

少なく深くがいいのか、多く浅くのがいいのか。

教材は多くこなす方がいいのか、少ないものを繰り返す方がいいのか。

一般にどの手法が優位で、どの手法が自己満足のみで徒労に終わりやすいか。

でも実際には勉強手法には自信も知識も経験もないから、内容だけ話すのです。

自分に合った方法は自分しか分からないからと、逃げを打って。

筆者は自分のしてきた7回読みという単純な方法を具体的に明快に正直に自分の体験に基づいて書いています。

そうして中学高校トップクラス、そして大学在籍中に司法試験と公務員一種試験に合格し東大首席で卒業したと。

その考え方や根拠も余さず公開しています。

方法論の合理性、一貫性、ブレのなさは凄いと感じます。

本の筆者には二種類います。

ひとつは売ることだけ考えて都合の悪いところを誤魔化す筆者。

もうひとつは本当に伝えたいことがあって都合の良いところも悪いところも有り体に語る根っから正直な筆者。

この本は後者です。

筆者を信用したわたしは、高二の長男のためにこの本を買ってやりました。

受験勉強のやり方に 迷っている長男に、目標を貫徹するとは「こういう感じ」なのだと教えてやりたいのです。

高額な医学部専門の塾など行かなくても、こういう王道があると知ってほしいのです。

7回読み勉強法にはもちろん、欠点・疑問もあります。

それ相応に時間がかかる…。

でも、ノート作りに励んだり本をマーカーで極彩色にして自己満足することと比較すると、いつでもどこでもできる「読むだけ」の勉強法手法は制約が少なく、すべてが記憶理解に直結してむだがない。

時間効率はいいと思いました。

7回読みできる時間なんてあるのか…。

ふつうはないかもしれません。

相当の覚悟がなければ。

わたしは中学・高校の時は本は好きだったけど勉強は苦行に思えてきまぐれにしか取り組まず、定期テスト前は1回の勉強がやっと、それどころか休憩のつもりで小説を読み出して止まらなくて深夜になり結局睡眠3時間のぶっつけ本番で受けたことさえありましたので、なにも言う資格はありません。

大学の受験勉強では、最後までやり方がわからなかった反面教師です。

でもそれだからこそ、大学入学以降に「勉強のやり方」について、ひたすら考え尽くした者としては、構えずにひたすら浅く読み返すこういう方法ならわたしもできたと思うし、時間や場所の制約という特徴のある受験勉強では、特にすぐれた方法だとわかります。

7回読みして筆者のように完璧に頭に入るのか…。

地頭がなければ筆者のようには完璧ではないかもしれませんね。

でも、このやり方を知った人間は、勉強や仕事の頭入れを完璧に仕上げる普遍的なコツを知るでしょう。

受験勉強に限らず 今後の人生の糧として、知れば値千金です。

筆者は司法試験の時は1日19時間勉強しましたと書いています。

司法試験の時は7回読みではなく40回読みと、実にありのままです。

わたしはひとつには、こういう際限のない努力の才能、それを可能にする手法こそ、実は勉強力なんだよと息子に伝えたいのです。

手法を突き詰めれば、頭脳明晰の子たちにも勝つ余地は大ありなんだと。

あと筆者は、わたしは頭の回転も早くないしと謙遜されていました。

この手法では、なんと、時間資源は圧縮することなく手つかずだったわけです。

ですから、この素晴らしい方法に、速聴を加えて高速化して、時間を味方に付ければさらに鬼に金棒。

それを息子にやらせてみたいのです。

正統派のノウハウに異端のテクニックを加えればより完璧なハイブリッドかなと。

息子もそうですがたいていの人は、正統派と異端派のどちらかに留まります。

反対側には来ようとしません。

自分らしくないものを受け入れないんですね。

使える手法はすべて使って、徹底して「最適化」しないと気がすまない、宮本武蔵や私のような人間は少数派なんです。

なぜでしょう。

とても不思議です。

芸の突き詰め

そう言えば昔、稽古の鬼と言われた故 桂枝雀にある時師匠が言ったそうです。

芸事はそんなに突き詰めるものやない。

ある程度のところで 手を打ちなはれ、と。

志村けんも、気を入れて120%でコントをやっているときは全然ウケなくて、あるとき偶然 気を抜いて60%くらいでやったらトタンにドッときて、コレか(;゜0゜)と気がついたそうです。

人生も勉強も芸事も、突き詰めたほうが完成度が高いのか突き詰めないほうが完成度が高いのか…

生きれば生きるほどわからなくなってきます。

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